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ご質問を投稿してくださいました、早船様。
誠にありがとうございました。
これが正解!というわけではありませんが、ご質問に対する武之介の考えを述べさせて頂きますね。
●とっかえべえは集めた古金を何に利用していたのでしょうか。
元々は、紀州道成寺の鐘を造るために始めたのが最初だったそうです。
現代とは違って、物が非常に少なかった江戸時代。
物が少ないゆえに、物の値段が高価でした。
それに対して、人件費は非常に安かったようです。
(現代の日本とは逆ですね)
それゆえ、こういったリサイクル転売を目的とした商売が多かったようです。
(様々な形での「○○拾い」が記録として残っています)
様々なものと交換で、こういった使い古した物・壊れた物・鉄くずなどを集めておりました。
集めた鉄くず等は、それらを扱う業者に売り渡されます。
物が高価だったので、その原料として使えるリサイクル品も高値で売れたということでしょう。
●なぜ交換されるものが飴になったのですか。
これについては明確な記録が残っているものがありませんでした。
それゆえ、あくまでも武之介の考えとして、述べさせて頂きます。
江戸時代においては、現代のようにお菓子はたくさんありませんでした。
それゆえ子供達はお菓子に目がないはずです。
子供を呼び寄せるのであれば、お菓子が一番のはず。
とはいえ、砂糖や米などを使ってしまうと、コストがかさんでしまい儲けが出ません。
しかし、飴であればひえや粟(あわ)等を使えるため、他のお菓子にくらべて安く作ることができます。
それゆえ、交換するお菓子として「飴」が出てきたのだろうと思われます。
いかがでしょうか。
腑に落ちない点があるかもしれませんが、何とぞご容赦下さい。
他の文献を読んでみて、また何か新しい発見があった場合は、また書き込みをさせていただきますね。
この度はご質問頂き、誠にありがとうございました。
また何かありましたら、再度投稿してやって下さい!
http://takenosuke.net/
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